坂本龍馬 身体的特徴と家系・家族

身体的特徴

身長6尺(約182cm。写真と当時着用していた紋付のサイズを元に研究者が計算したところでは180cm)と江戸時代の当時としてはかなりな大男であったといえるだろう。なお、他の研究では174cmや169cm・62kgという説もある。
武市半平太とは「アギ(あご)」「アザ(痣)」とあだ名で呼び合う仲だった。

家系・家族

龍馬自身は紀姓で紀貫之の子孫と称したという。墓石にも「坂本龍馬 紀直柔」と名が彫られている。 坂本家が主君に差し出した『先祖書指出控』には、「先祖、坂本太郎五郎、生国山城国、郡村未だ詳らかならず、仕声弓戦之難を避け、長岡郡才谷村に来住す。但し年歴、妻之里、且つ病死之年月等未詳」とある。 天正16年(1588年)の才谷村の検地で村の3番目の百姓として登録されているにすぎず、3代目太郎左衛門までは公認の名字を持たない百姓身分と考えられる。2代目彦三郎、3代目太郎左衛門まで才谷村で農業を営んだ。4代目守之、5代目正禎は才谷村の字の一つである「大浜」を家名として名乗り始める。

寛文6年(1666年)、3代目太郎左衛門の次男・八兵衛は高知城下にでて質屋を開業(屋号は才谷屋)し、酒屋、呉服等を扱う豪商となる。享保15年(1730年)ころ本町筋の年寄役となり、藩主に拝謁を許されるにいたった。明和7年(1770年)、6代目直益は郷士の株を買い長男・直海を郷士坂本家の初代とし分家させ、名字帯刀、すなわち公認の名字を名乗り身分表象として二本差す身分にたどりついた。次男直清には商家才谷屋をつがせている。郷士坂本家3代目直足は白札郷士山本信固(覚右衛門)の次男としてうまれ坂本家へ養子として入った。直足の次男が直柔(坂本龍馬)である。妻はお龍(楢崎龍)、また千葉さな子は婚約者だったと言われる。

郷士坂本家は5代当主の直寛の時の明治30年(1897年)に一族を挙げて北海道に移住した(土佐訣別)ため、現在は高知には龍馬はもとより郷士坂本家の人々はいない。

自由民権運動家の板垣退助は、同じ土佐藩出身であり、坂本家は山本信固(覚右衛門)家を通じて親戚関係の間柄である。坂本家の後嗣坂本直寛(龍馬の甥)は、その縁で板垣とは親しく、自由民権の遊説活動を行っていた。

小説では、坂本家は明智光秀の娘婿・明智秀満の末裔 とし、坂本姓の由来は、本能寺の変以前、明智氏所領であった坂本(現滋賀県大津市坂本)に由来するとの話もあるが、坂本の地名は全国に多数ある。このようなことからも、後世の創作だろうとする声も強い。

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