坂本龍馬の幼少年期 三姉の乙女が武芸や学問を教えた

坂本龍馬の幼少年期 三姉の乙女が武芸や学問を教えた

坂本龍馬は天保6年(1835年)11月15日、土佐国土佐郡上街本町一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)に土佐藩郷士(下級武士)坂本家に父・八平、母・幸の間の次男として生まれた。兄(権平)と三人の姉(千鶴、栄、乙女)がいた。坂本家は質屋、酒造業、呉服商を営む豪商才谷屋の分家で、第六代・直益の時に長男・直海が藩から郷士御用人に召し出されて坂本家を興した。土佐藩の武士階級には上士と下士があり、両者の間には様々な待遇差別が存在し、下士は長い間様々な場面で抑圧されてきた。商家出身の坂本家は下士(郷士)だったが、分家の際に才谷屋から多額の土地財産を相続しており非常に裕福な家庭だった。

龍馬が生まれる前の晩に、母親が龍が天を飛ぶ瑞夢を見て(または父が駿馬の母が蛟龍の夢を見たとも)、それに因んで龍馬と名づけられ、幼い龍馬の背には一塊の怪毛があったという伝説がある。



弘化3年(1846年)、12歳のときに母・幸が死去し、父・八平の後妻・伊与に養育された。幼年の龍馬は寝小便癖が直らない泣き虫の惰弱であり、漢学の楠山塾に入学したものの、いじめに遭い抜刀騒ぎを起こして退塾させられてしまい、三姉の乙女が武芸や学問を教えたという。

龍馬の人格形成において多大な影響を与えていったのは、父・八平の後妻・伊与の前夫の実家である下田屋(川島家)といわれている。龍馬は姉・乙女とともに浦戸湾を船で渡り、当時土佐藩御船蔵のあった種崎にある川島家をたびたび訪れては、長崎や下関からの珍しい土産話などを聞いたとされる。また、世界地図や数々の輸入品を見て外の世界への憧れを高めたともいわれている。

嘉永元年(1848年)に日根野弁治の道場に入門して小栗流剣術を学び、非常に熱心に剣術に精励し、5年の修業を経た嘉永6年(1853年)に「小栗流和兵法事目録」を得た。

司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公として描かれ、国民的人気を得る

司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公として描かれ、国民的人気を得る

坂本龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日)- 慶応3年11月15日(1867年12月10日))は、日本の近世末期に活動した武士。土佐郷士に生まれ、脱藩したのち、倒幕および明治維新に影響を与えた幕末の志士である。



諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。龍馬は通称。他に才谷 梅太郎(さいだに うめたろう)などの変名がある。

土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)の結成、薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動した。贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の主人公として描かれ、国民的人気を得る。また、その事績についてはさまざまな論議がある。

生前より死後に有名になった人物であり、先述の『竜馬がゆく』を始め、小説やドラマに度々取り上げられる人物ではあるが、それらで描かれる人物像は実際の龍馬とかなり異なっているのではないかという指摘がある。

龍馬の伝記を書いた歴史家としては、平尾道雄・池田敬正・飛鳥井雅道などが代表的。

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